行動科学実践の手引き。

人が自由に行動し、自由を謳歌するために、行動科学(行動分析学)の知識と実用的なノウハウを記す。

人生の目的が見つからないという悩みに終止符を。

僕たちは時々、人生の目的を明確にしたいという欲求を持つことがあります。何のために生きているのか、どこを目指して生きているのかをハッキリさせた方が、何だか後悔のない人生を送れそうな気がしますよね。

だから人生の目的を探すのです。ハッキリさせようとするのです。

一方で人生の目的は形のない捉えにくいもの。なかなか確信をもってこれだ!といえるような状態にはなりません。重要なのに見つからない。この矛盾が僕たちを悩ませます。

この悩みは解決できないのでしょうか。その鍵になるのは「人生の目的って本当に重要なのか?」という問いかけです。価値がないというわけではないけれど、思ったほど重要なものではないのかもしれませんよ。

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人生の目的という悩ましい問題

世の中には「人生の目的」というテーマがあります。

人生には目的が必要だと思い込み、何とかそれを見つけようと頑張っている人もいるでしょうし、目的こそが生きる価値だと考え、目的によって自分の生に対して何かの意義や意味を見出そうと願っている人もいるかもしれません。

多くの文脈において「人生の目的」は重要なものとして扱われます。しかし一方、ハッキリと「これが私の人生の目的である」と断言できる人は少ないでしょう。

重要だけど、なかなか確信が持てない。この矛盾は僕たちに悩みと混乱をもたらします。

形あるもので考えてみると分かりやすいでしょうか。あなたにとって今すぐ必要で大切な物があって、どこにしまったのか分からなくなったとしたらどうでしょうか。一生懸命探しているのに、なかなか見つかりません。大きなストレスを感じることでしょう。

人生の目的を探すというのは、このような状態に自分を置くことに他なりません。形あるものであれば、見つかったかどうかがハッキリと分かりますが、人生の目的には分かりやすい形はありません。見つかったどうか確信が持てないのです。ある瞬間に確信が持てたとしても、しばらくするとその確信が揺らいでくることもあります。

重要なのに見つからない、確信が持てない。その状態がずっと続くのです。

この悩ましい問題は「人生の目的」を重要なものとして扱うことから始まりました。重要なはずなのに、まだ発見できていないという現状を認識したときに、悩みがスタートするのです。

そうすると一点疑問があります。人生の目的とは、本当に重要なものなのでしょうか?もし重要でないとしたら、多くの時間を割いてまで悩む価値のあるものとはいえません。机の上においてあった一円玉が何処かに紛失して、それを探すのに多大な時間と労力を使うことはしないでしょう。

人生の目的は、僕たちの体験や行動にどう影響を与えるか

僕たちはいまこの瞬間に生きている。それを前提にしてみよう。

ひとまず考えるべきは、人生の目的の重要度についてです。本当に重要なのかどうかを考えてみましょう。

そのためには僕たちの人生がどこにあるのかを認識しておく必要があります。僕たちはいまどこに生きているのでしょうか。簡単です。いま、ここに生きています。僕はいまパソコンの前でタイピングしていますし、あなたはスマートフォンなりパソコンなりを使ってこの記事を読んでいるところでしょう。それが僕たちの「いま、ここ」です。

僕たちは過去にはいません。かつては「いた」かもしれませんが、今はいないのです。同様に未来にもいません。そのうちいることになるかもしれませんが、今はいません。

僕たちの人生は常に今、この瞬間にしか存在していません。

人生の目的が重要なのだとすれば、その「いまこの瞬間」をより良くするためにあるのでしょう。では、人生の目的は「どのように」いまこの瞬間をより良くしてくれるのでしょうか。

人生の目的はいま接触している事象・出来事の価値を変容する

第一に、いま僕たちが接触している事象・出来事の価値を変容する可能性があります。

例えばいまテレビで貧困をテーマに扱った番組が放送されているとしましょう。貧しさから飢えて死んでいく人々が写っています。そのことはとても痛ましいことではありますが、そのことの持つ価値は人それぞれ違います。

あなたがマザー・テレサのような人生の目的を持っていたとしたら、それは非常に心を痛めるような事象として、あなたの人生に影響を与えるかもしれません。一方であなたがスティーブ・ジョブスのような人であれば、貧困問題よりも関心の高いものがあるでしょうから、実質的に影響を与えない可能性が高いです。

明確で確信のある人生の目的を持っている場合、それに関連する事象・出来事を目的と同様に重要に扱うことになるでしょう。それらが高い価値を持つものであれば積極的に求めるでしょうし、嫌悪的な性質を感じるのであれば人生から無くそうと取り組む可能性があります。

このようにして人生の目的は、僕たちの「いまこの瞬間の体験」に影響を与える可能性があります。

人生の目的はいま行っていることの価値を変容する

第二に、いま僕たちが行っていることの価値を変容する可能性があります。

例えば僕はいま、ブログを書いています。今日書いているテーマではあまりアクセスは増えないだろうなぁ…と考えていたとしましょう(そうでないといいですが笑)。

仮に僕の人生の目的が「行動分析学を活用して研究・考察したことを伝える」であれば、例えアクセスが見込めなかったとしてもこの記事を書くことには価値を見出すことができます。一方、そういった目的を持たず書いているのであれば、あまり価値を見出すことはできないかもしれません。

いまこの瞬間の行為と目的とを関係させて捉えた時に、行為自体の価値が変動することがあるのです。

つまり人生の目的は必要なのか?

以上を踏まえてみると、何だか人生の目的はやっぱり重要そうな気がしてきましたか?だって今のこの瞬間の体験や行為の価値を高められる可能性があるわけですからね。

しかし、そうではないのです。先ほどまでお伝えしてきたことは、人生の目的とは「いまこの瞬間をより良く生きるための手段」にすぎないということなのです。目的なのに手段。ややこしいですね。

人生の目的が無くても、いまこの瞬間の体験や行為が素晴らしいものになることは多々あります。面白い漫画を読んでいたり、友人と楽しく飲み食いしていたり、あることについてのアイデアを思いついたり等。それぞれの体験や行為そのものが価値を持っているのです。

だから「人生の目的」は必須ではありません。今日という日を自分なりにより良く過ごせていると実感できているのであれば、必要ないものだといえます。

一方で人生の目的という「手段」が有効に機能することもあります。それは自分がどのような体験や行為を求めているか、よく分からなくなってしまった時です。

こう考えてみてください。航海していて方角が分からなくなり、夜空を見えあげたら北極星が見えたので正しい方角へと舵を切ることができた。人生の目的とはこの北極星のようなものです。ある程度の指針を教えてくれるものです(北極星は航海の目的地ではありませんよね)。

あなたがもし、いまこの瞬間の生き方について迷いがあったり、混乱していたりするのであれば、もしかすること人生の目的について考えてみることは、有効なヒントを得られる方法かもしれません。

とはいえ、その程度のものだともいえます。軽く考えてみる程度にするのをお勧めします。

まとめ

本記事でお伝えしたことは次の3点です。

  1. 人生の目的を重要に扱うと、それを求めずにはいられなくなる。しかし、形のないものなのでハッキリと確信をもって目的を見つけることは難しい。だからこそ悩みが深くなる。
  2. 人生の目的は(1)いまこの瞬間に接触している事象・出来事の価値を変容するし、(2)いまこの瞬間に行っていることの価値を変容する。人生の目的に合致した事象や行為は、より高い価値を有しているように感じられる。
  3. 人生の目的は、いまこの瞬間をより良く生きるための手段にすぎない。今日という日の過ごし方に迷いや混乱があるなら、人生の目的という手段を試してみるはいいかもしれない。ただしあまり重く考え過ぎないように。所詮は手段なのだから。