個人事業家・フリーランスのための行動分析学 - 行動アシストラボ 矢野浩史

僕たちは行動分析学をもっと”使える”道具にする。

お金がない・時間が無い・能力が無い、だから僕たちは不自由なのか?

お金や時間、あるいは能力といったリソースの不足は、僕たちに不自由さを感じさせるものです。

リソース不足は時間をかけることを前提とすれば、単なる課題でしか無い。ところが、リソース不足を性急に解消しようとすると、悪循環に嵌まって抜け出すことが困難になります。

このようになってしまう背景には、僕たちの「欲求の働き」があります。実は、僕たちは自分自身で不自由さを作り出しているのかもしれません。

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不足という不自由を作り出す僕たち

望むが故にリソースが不足する。

不自由さを感じる原因の一つに、リソース不足があります。

リソースという言葉がなかなか分かりづらいですが、経営などではヒト・モノ・カネなどと言ったりしますね。今回の文脈では、情報や能力(スキル)なども含めて考えてください。要は、何かを実行しようとした際に必要となるものと捉えてもらえばいいかと。

このような前提ですので、リソース不足に陥ると僕たちの行動は制限されてしまいます。

分かりやすいのはお金で、例えば何かを購入したいと思っても、それを購入するだけのお金が無ければ「購入する」という行動は制限されてしまいますよね。行動が制限されれば、僕たちは当然ながら不自由さを感じてしまうことでしょう。

 

こういった不自由さは、”現状持っているリソース以上の何か”を望むが故に生じています。現状とは違う、より良い状態を望むからこそ発生するんですね。

今よりも良くなりたいという望みは、僕たちは自然に持つものでしょうから、リソース不足による不自由さを感じてしまうのは、仕方のないことかもしれません。

で、僕としては、そういったリソース不足に起因する不自由さを甘受し、自由を獲得することを諦めるしかないのか、それともどうにかできるものなのか、というところに関心があるのですが…

非現実的な妄想にとらわれやすい僕たち。

リソース不足による不自由さが苦痛となるのは、多くの場合、望んでいる「現状とは違う良い状態」が非現実的な願望となっている時ではないかと思うのです。

自分の願望が現実的であるか、非現実的な妄想なのかは、意外と判断するのが難しかったりします。というのも、非現実的であるかどうかは、現状の自分と相対的に比較・分析することでしか判断できないからです。

 

僕がコーチングを習った当時、目標設定をする際、それが非現実的なものかどうかを測る指標として、「世間にそれを達成した人いるかどうかを考えるように」と言われたことがあります。これはある意味正しいとは思うのですが、どちらかというと非現実的な目標を設定させてしまう考え方です。

 

例えば、ある人が3ヶ月で達成できた目標があったとして、それなら自分も3ヶ月くらいで達成できるだろうと考えていいかどうかということなのですが…そんなわけないですよね、と。

スタート時点のリソースに大した差がないのだったら、同じくらいの期間で達成できる可能性は十分にあると思います。でも、リソースに大きな差があるのだったら、できることにも大きな違いがあるのですから、同じ期間で達成できるだろうと考えるのは無理筋です。

時間をかけられるなら、リソース不足は単なる課題でしかない。

このように、非現実的な妄想を願望・目標にしてしまう要因は、時間軸にあります。

リソース不足を解消していくことは、大抵の場合、十分に時間をかければ可能です。お金であろうと、人間関係であろうと、能力であろうと、時間をかけることを前提とすれば、それは困難な障害ではなく単なる課題でしかありません。

 

ところが、願望を現状に見合わない時間軸で(つまり短期間で)達成しようとすると、途端に非現実的な妄想になってしまいます。

何かの願望・目標を達成しようとする場合、そこには戦略なり計画なりが必要になります。しかし、目標がそもそも非現実的過ぎるために、戦略や計画の難易度が跳ね上がり、端的に言えば実行不可能なものになります。

つまり、僕たちがリソース不足からもたらされる不自由さを乗り越えるために必要なものは、リソース不足を解消するための戦略や計画を実行するだけの「時間」なんです。

僕たちが”待つ”ことができない理由。

では、どうしたらその時間的猶予を持つことができるでしょうか。言い換えると、なぜ僕たちは時間的に無謀な妄想の実現を願ってしまうのでしょうか。

僕たちが時間をかけて取り組むことができなくなってしまう要因の1つは、欲求のコントロールの難しさに起因しています。特に欠乏に基づく欲求は、僕たちに強い影響力を持ちます。

 

例えば、いまお金がなくて生活の基盤すら怪しくなっているとしましょう。そうすると、色々な心配事が出てくると思います。今月の電気代はどうしよう…とか。

こういった状態は、僕たちの欲求に影響を与えます。心配事を解消する方向に、選択が誘導されやすくなってしまいます。(確立操作といいます)

 

こう書くと、心配事を解消する方向に向かうのならいいじゃないかと考えてしまいそうですが、そう簡単でもありません。この状態におかれた僕たちが解消したいものは、心配事そのものではなくて自分の欲求なんですね。

心配事があって不安を抱えているとしたら、僕たちが解消しようとするのは心配事ではなく、不安の方になるのです。結果、心配事そのものは放置して、不安を解消するために最も効果的(でも長期的には効果がない)な手段を選択します。

 

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欲求に振り回される僕たち。

そういった選択の現れの一つが、時間軸を無視した非現実的な願望や目標の設定、ということになります。

もし短期間で願望を実現できるとしたら、それは僕たちの欲求を解消してくれるものでしょうから、そのような願望を持ちたくなるのも無理はないことです。

そして、そのような願望を持てた瞬間、僕たちの不安は霧散し、テンションが上って「よし、頑張るぞ〜」となるわけです。不安の解消に対しては、実に効果的に機能しています。

 

しかし、実際に取り組み始めると現実とのギャップにぶつかることとなり、思うように事態が変わらないことを痛感するわけです。こうして僕たちは、リソース不足からくる不自由さの問題をなかなか解消できなくなってしまいます。

リソース不足は必要な時間をかければいいだけ。でも、そうできない理由は僕たちの欲求にある。何だか僕たちの不自由さというのは、僕たち自身が作り出しているかのように感じてしまいますね。

行動を通して欲求の正体に迫る 

欲求とは何だろう?

では、そもそも「欲求」とは何でしょうか?色んな考え方があるとは思いますが、ここでは行動分析学に基いて欲求の正体を考察していきます。

行動と欲求の関係を考えてみると、一般的には欲求が先に存在して、それが原因で行動が生じるように捉えるかと思います。お腹が空いたからご飯を食べる、みたいに。でも、実はこの捉え方は、行動と欲求の関係を正しく表していません。

 

欲求とは、正確に表現するならば、ある行動への動機付けが完了した後に、”結果として”生じた思考や感情、その他生理現象の事を指していると思われます。ポイントは「動機付けが完了した後に、結果として生じるもの」だ、というところです。

簡単に言えば、欲求は行動の原因ではありません。先に行動の原因が成立し、その後に欲求を感じます。なので、欲求が行動を直接促すのではないのです。

 

なかなか理解し難い部分ではあります。しかし、ここを間違って欲求が行動の原因と捉えてしまうと、欲求を生み出している心理的・内面的な何かを想定し、その改善を目指すことになります。

そのアプローチで解決しないとは言いませんが、思考のダークサイドに嵌りやすい難儀な方法でもあります。行動を通して欲求にアプローチする方法も、視野に入れてみるのもいいかと思います。

行動の科学からみた欲求の発生するプロセス

さて、それでは欲求がどのように発生するかについて、もう少しみていきましょう。僕たちの欲求の正体を見極めるには、その時にどのような行動を実行したいのかを分析してみるといいでしょう。

例えば、次のような例を考えてみます。

ある日、ネット上でとある書き込みをたまたま見つけてしまった。それがきっかけで、一日中不快な気持ちになってしまい、そのことばかりを考え続けてしまう。反論を書き込みたい気持ちでいっぱいだ。

この時、一体何が起こっているのでしょうか。一般的には次のような解釈になるかと思います。

書き込みの内容が不快だったので、反論したくなっている。不快感を感じたのは、書き込みの内容が自分の価値観やルール等に反しているからだ。

しかし、残念ながらこの解釈は、行動分析学的には誤りです。行動分析学の文脈では、次のようになります。

書き込みを見たことをがきっかけで、反論を書き込みたくなった。反論したくなっているのは、反論することで何らかの変化が得られるからだ。その変化こそ、反論という行動を促す要因である。不快感は、反論したい状態が維持されているサインでしかない。

さぁ、ややこしくなってきました。なるべく分かりやすくなるようにガンバリます^^;

欲求とは動機付けが成立していることを示すサイン

ここで押さえて欲しいポイントは、

  • ネットの書き込み
    ⇒ 不快感
    ⇒ 反論したい

という流れではなく、

  • ネットの書き込み 
    ⇒ 「反論に伴う変化」に「反論を促す程の力」が生じる
    ⇒ 反論したい

という流れになっている点です。不快感は「反論したい状態」が成立した瞬間に、ほぼ同時に生じている生理的現象です。決して行動の原因ではありません。

 

また、ここでいう「反論に伴う変化」というのは、例えば僕自身の場合であれば、

  • 書き込みした人の意見を自分に同意させる

といった感じになります。反論することでその人の同意を得られる(実際にどうなるかさておき)から、僕は反論するのです。

で、その人の同意を得ることが「反論を促す程の力」を持つに至ったきっかけが、ネット上の書き込みをみたことです。このケースにおいて、「書き込みをみたという出来事」を、行動分析学では確立操作といいます。一般的には動機付けと表現されるものですね。

ラーメンを食べるのは空腹だから?

別の例でも考えてみましょう。

朝から何も食べていないので空腹だ。目の前にラーメンが出てきたので、かきこむように食べた。

この行動を一般的な解釈で分析すると、

  • 朝から何も食べていない
    ⇒ 空腹感
    ⇒ ラーメンが出てきた
    ⇒ 食べる

でしょうか。行動分析学の場合は、次のようになります。

  • 朝から何も食べていない
    ⇒ 「食べることに伴う変化」に「食べることを促すだけの力」が生じる
    ⇒ ラーメンが出てきた
    ⇒ 食べる

 

空腹感が食べるという行動の原因ではなく、食べることでラーメンを胃に入れることができるから食べるんですね。

空腹感は、「ラーメン(または他の食べ物)を胃に入れること」に「食べることを促すだけの力」が成立していることを示す、サインでしかありません。そして、その力を成立させたもの(動機づけ要因)が、「朝から何も食べていない」になります。

心理的要因の掘り下げはドツボに嵌る

わざわざこのように考えるのは、最終的に行動を自分の意図に沿ったものにするために実用的だからです。

既に書いたことですが、欲求を行動の原因とする考え方の場合、改善しようとすると自分の内面を掘り下げるアプローチになってしまいます。

 

例えば、

  • ネットの書き込み
    ⇒ (何らかの心理的原因)
    ⇒ 不快感
    ⇒ 反論したい

という感じになって、この「何らかの心理的要因」をどうにかすることになるんですね。これはあまり効果的ではありません。

ラーメンの例だと、

  • 朝から何も食べていない
    ⇒ (何らかの心理的要因)
    ⇒ 空腹感
    ⇒ …

という分析は、何だか変な感じがしますよね。空腹なのは食べていないからであって、そこに心理は関係ないです。でも、不快感などの情動反応もこれと大差ないんです。

 

にも関わらず、そこに問題があると思い込んで掘り下げていくと、僕たちの認知はちゃんと答えを用意してくれます。問題が無いところに問題を作り出してくれるんです。結果、悩む必要の無いことに悩みはじめてしまいます。

更に、悩むこと自体が、悩むという行為に対する動機付けとして機能することもあります。そうすると、延々と終わらない悩みが続いてしまい、ドツボに嵌ってしまいますのでこの点も要注意です。

動機付け部分にアプローチしよう

なので、欲求を生み出している心理的な何かの存在を仮定し、そこにアプローチする手法はあまり効果的ではないと思われます。

欲求の源泉は僕たちの性質や性格等にあるのではなく、僕たちと僕たちを取り巻く環境との相互作用にあります。

何かの出来事が起きたり、あるいは出来事を頭の中で再現したりすることが、行動の動機付けとして働き、その結果として僕たちの欲求が刺激されるのです。

  • 出来事
    ⇒ 心理的な何か
    ⇒ 欲求

ではなく、

  • 出来事
    ⇒ 行動への動機付け
    ⇒ 欲求

だということです。そして、動機付けとは「行動に伴う変化」が「行動を促す程の力を持つ」ことを指しています。

従って、欲求を上手く扱うには「行動への動機付け部分」にアプローチすることになりますし、それは必然的に行動にも影響を与えることになります。

 

話を戻しましょう。リソース不足に伴う不自由さが問題となるのは、欲求が強すぎるが故に、あまりにも短期間でリソース不足を解消しようとする点にありました。

ですので、欲求を上手く扱うことができれば、リソース不足を単なる課題として捉え、適切な行動を積み重ねることが比較的容易になります。

そのために大切なのは、僕たちの欲求が発生している現状を「行動を通してみる」ことで理解し、欲求の源泉たる行動の動機付け部分へとアプローチすることなのです。

 

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