Q.
やるべきことにすぐ手をつけられません。一日が始まると面倒でダラダラしてしまいます。一日が終わりに近づいた頃、ようやくやる気が出てきますが、結局時間がなくて殆ど進みません。この繰り返しです。
A.
現実逃避ができない環境を用意しましょう。ダラダラしている時に何をしているかによりますが、例えば、ついダラダラYoutubeを観てしまうようであれば、ネット環境のない喫茶店や、音を出すと怒られそうな図書館などで作業をするといいでしょう。
解説:やる気に関係なく行動できてしまう状況を作ろう
やる気がないと行動できないから、やる気を出す方法を探そうとする
朝はやる気ないけど、夜になるとやる気が出る。何故、そうなるのでしょうか。検索してみると、色々な解説が出てきます。脳科学的にどうだとか、生理学的にどうだとか、実は鬱病だとか・・・。
それぞれの記事がそれぞれの立場で解説をしていて、それなりに根拠もあるのだと思いますが、本記事では、あくまでも行動科学的な立場からの解説を試みます。
朝やる気が出ないという現象は、客観的に観れば単に「結果としてやろうと思っていたことを実際にできなかった」ということになります。あるいは、夜やる気が出るという現象は、「夜になるとやろうと思っていたことができた」ということになります。
この2つの現象の違いを、通常はやる気のありなしで説明しようとするわけです。そこから更にやる気が出る理由、あるいは出ない理由を脳科学や生理学で解明し、何とかやる気を出す方法はないか、などと考えるわけです。
やる気の正体を行動科学で読み解いてみる
しかし、「行動できる/できない」の原因は本当に「やる気」なのでしょうか?わざわざこんな書き方する以上、もちろんNoと答えたいわけです。
行動科学的に考えると、行動の原因はやる気ではありません。行動の原因をやる気のあるなしに求めてしまう考え方は、循環理論といって原因を述べているようで述べていない、という論理的な誤りを含んでいます。
この辺りの詳しい解説は、下記の記事などを読んでいただくと良いかと思います。
ここでは簡単に次のようにお伝えしておきます。
- やる気がないという表現は、行動できないでいる現状を自己観察し、現状にラベルやレッテルを貼っただけのものである。単なる言い換えであり、決して原因に言及したものではない。
やる気が行動の原因でないとすれば、「何とかやる気を出して行動しよう」というアプローチは、行動の改善にはつながりません。それどころか、問題ではない部分を問題としてしまい、複雑で解決困難な状態に陥らせてしまうことすらあります。
やる気はひとまず放置して、行動するための工夫をするといい
朝と夜の「行動の環境の違い」を見つける
というわけで、やる気という自分の内面へアプローチする方法ではなく、もっと行動に対して直接的に働きかける工夫をしてみるといいでしょう。
朝のやる気がないと感じている時間帯があるにしても、本当に何もしていないわけではないと思います。例えば、仕事や勉強をする代わりにYoutubeを観ているかもしれません。これが夜になると、途端にYoutubeを観なくなって、仕事や勉強を始めるわけです。
この2つの違いをどう捉えるかです。朝の時間帯は「Youtubeを観ることができる状況」にあり、夜の時間帯は「Youtubeを観ることが困難な状況」と捉えてください。Youtubeを観ると楽しいですから、観ることができる状況であれば観てしまいます。
Youtubeを観ることができるにも関わらず、それを我慢して仕事したり、勉強したりしようとすれば、何だか嫌な気持ちになると思います。その状態を自覚したとき、やる気がないと感じてしまうのでしょう。
行動しやすい「夜と似たような状況」を作ればいい
朝から自分の思う通りに行動したいのであれば、夜の時間帯と同じような状況を作ることをお勧めします。つまり、仕事や勉強の代わりについついYoutubeを観てしまうのであれば、「Youtubeを観ることが困難な状況」を作ってみるといいでしょう。
その具体的な工夫の一つが、冒頭の回答に書いた「ネット環境のない喫茶店や、音を出すと怒られそうな図書館などで作業をする」です。
例としてYoutubeを使いましたが、これが別の活動でも考え方は同じです。やりたいと思っていることの代わりにやってしまっている現実逃避。それが実行しづらい状況を作ることができれば、やりたいことに集中しやすくなります。
※以下、行動分析学の専門用語が出てきます。興味のある方は読んでみてください。
行動分析学的な解説:
弁別刺激を調整して現実逃避を抑制する
朝は面倒だけど、夜はやる気が出るとのこと。朝と夜の違いは何かといえば、「時間」という好子の希少性です。
ダラダラとYoutubeを観ると時間を消費します(好子消失)。朝や昼など、まだ十分に一日の時間が残っている場合、時間という好子は、時間の浪費という文脈においてさほど影響力を持ちません。
一方、夜になって一日の残り時間が僅かになると、時間の希少性は高くなります。あと1時間で寝る時間という状況では、15分をYoutubeに費やすことが弱化されそうです。
つまり、一日の時間が十分にある場合、Youtubeなどの楽しい活動が「できる」状況にあるわけです。
にもかかわらず、それを我慢して「やるべきことをやる」のは気が重いことでしょう。そんな自分を観察した結果、「面倒」「ダラダラしてる」と評価したのだと思います。
これが夜になれば弱化が有効になり、Youtube等の活動は「できない」状況になります。
やるべきことをやっても、別にYoutubeを観るのを我慢しているわけではありませんので、その点についての気の重さはないことでしょう。結果、やる気を自覚しているのではないかと推測します。
以上の仮説に基づくと、介入の方針は「一日の残り時間がもう残り少ない」という状況と同じ機能を持つSΔを用意することだと考えました。
つまり、弁別刺激を調整することで「Youtube等を楽しむ機会を失う」という弱化を生じさせないようにすればいい、と。その結果が冒頭の回答となります。