自分の感覚や感情を大切に扱いすぎると、行動が安定しなくなります。感覚や感情は確かに大切なものですが、行動を感情に依存させてしまった結果、ポジティブだと行動できるけど、ネガティブだと行動が停滞してしまう、という事態に陥ります。
行動と感情とを切り離して扱うことができれば、あなたの行動力は倍以上になります。何故なら、ネガティブな状態でも行動することができるようになるからです。
感情を行動の味方でも障害でもありません。せいぜい行動した「結果」として、感情に変化が生じることがある、という程度の関係です。故に、感情がどうであろうとも、今日いまからの行動をより機能的なものにすることができるのです。
人は感情を重視し、それ故に行動できなくなる
我慢しすぎた社会へのカウンターとしての感情優先傾向
「理性 < 感覚・感情」という時代
少し前まで、日本は割と「我慢することが当たり前」の社会だったように思います。その反動からか、あるいは単に僕の観測範囲の問題なのかは分かりませんが、最近は「頭で考えるんじゃなくて心で感じること」「自分にとって価値あること」「自分らしさ」といったものを大切にしよう、というメッセージが主流になりつつあるようにみえます。
理性の働きや考えることではなく、感覚・感情を大切に扱うという感じ。
選択そのものよりも、その選択の持つ機能性が大切である
しかし、実際問題として理性よりも感情を優先すればいいというものではなく、これは全て「機能性」の問題です。理性を優先することで我慢に我慢を重ねて、身体や心が病んでしまった。それは機能的ではありません。そのような文脈においては、理性を優先させることは不適切といえるでしょう。
同様に、常に感覚・感情を優先すればいいというものでもありません。感情優先にすることが不適切な文脈もあるのです。とりわけ「行動が関わる場面」において、感情優先の傾向がかえって問題を大きく複雑にすることがあります。
いつでもハッピーでポジティブになれるのか?(いいえ、なれません)
良くも悪くも感情に対して敏感
感覚・感情を優先するということは、それらを大切に、重要に扱うということです。自然、自分の状態について敏感になります。
それは時に幸福な時間をもたらすこともあります。今まで全く気にかけていなかった些細なことに感動し、喜びを覚えるようになるかもしれません。同じ出来事により深く幸福感を感じられることもあるでしょう。
同時に、自分の状態に敏感であるがゆえに、ネガティブな感情も深刻に捉えがちになることがあります。ネガティブは誰しも嫌なものですが、感覚・感情を大切にするので、その影響を多大に受けてしまうのです。
感情との距離感
僕達の感情にはトリガーがあります。何かの出来事(それが思考の中で起こっていることであっても)が生じると、それに誘発されるように感情が生じます。つまり感情というものは僕たちが意図的に出したり引っ込めたりできるものではない、ということです。
つまり、感覚・感情の影響を受けやすいということは、簡単にいってしまうと出来事に振り回されやすいということでもあります。些細なことにポジティブに反応したり、ネガティブに反応したりするので、感情の振れ幅が大きくなりやすいです。本当は感覚・感情を大切にしつつも、少し距離感を持ってつきあえるといいのですけどね。
感情が変わるまで行動するのを待ってしまう
さて、感情についてはこのブログの主題ではありません。行動について考えてみましょう。人によっては・・・というより多くの人にとっては、感情が行動の障害になっているように感じられると思います。
怖いから行動できない、不安だから行動できない、気が重いから行動できない、憂鬱だから行動できない、イライラするから行動できない等。
反対にポジティブな感情を持てている時は、行動に積極的になれているような気がします。やる気があるから行動できる、ワクワクするから行動できる、燃えているから行動できる等。
感情と行動とを関係付けるので行動が停滞しやすくなる
つまり、次のような関係付けをしているわけです。
- ポジティブ = 行動できる/しやすい
- ネガティブ = 行動できない/しにくい
だとすると、もしいまネガティブな状態におかれていて、しかも行動した方がいいと頭では分かっている時、一体どうすることになるのでしょうか。
簡単にいってしまえば、感情が変わるのを待つことになります。実際は感情を何とかしようと色々考えたりするのかもしれませんが、いずれにせよ感情が変わる何かのきっかけが訪れるまで、行動は停滞することになります。
先ほど書いたように、感情は任意に出したり引っ込めたりできません。出来事をトリガーとして誘発されるもの。もし行動を感情に依存させてしまったなら、僕たちのパフォーマンスも、出来事に振り回されるということになります。
感情と行動についての適切な理解
感情原因論は循環理論である
行動の問題をなかなか解決できない場合、大抵、そこには循環理論が絡んでいます。感情を行動の原因と捉える考え方も、循環理論となります。循環理論についてはこのブログでは何度も書いていますので、ここでは省略。下記の記事などを参照してみてください。
行動の原因に関して循環理論が出てきた場合、真の原因にはまるで辿りつけていないことを認識しておくといいでしょう。もっともらしく行動の原因について説明していますが、よくよく考えると何も言っていないことと同じ、というケースが多いのです。
感情も行動の原因ではありません。例えば「やる気がない」という表現は、少なくとも行動の問題においては、「行動できないでいる現状を別の言葉で言い換えただけのもの」です。単なるレッテルです。故にやる気を何とかしようとしても、行動の問題が改善することはほぼありません。
実際は「行動が先、感情が後」となる
大切なのは順番です。僕たちはネガティブな感情がポジティブに変われば行動できるようになる・・・と考えがちです。それは主観的にはとても納得できそうな考え方です。
ところが実際は行動の原因は感情ではなく別のものなのです。なので感情が変わっても行動できるとは限りません。僕自身の経験として「とてもやる気に満ちあふれていたはずなのに、結局行動しないまま一日を終えた」ということが何度もありました。読者の中にも、僕と同じような経験をした方がいると思います。
要は感情は行動の原因ではないので、感情を先に変えようとしても行動に影響はないのです。感情がどうあろうとも、行動を変えたいのであれば行動の原因に働きかけるより他ありません。
寧ろ先に行動を変えてしまった方が、それに追随するように感情も変わることもしばしばあります。感情は出来事をトリガーにすると書きましたが、行動することそれ自体も感情のトリガーたり得るものです。
感情に振り回される人への処方箋:感情優先から機能優先へ
感情を行動の障害にしてしまうと選択肢が狭くなる
ネガティブな時は行動できないという前提をおいている
ポジティブなら行動できて、ネガティブなら行動できない。そう考えてしまうのは、あまり良い傾向ではありません。ポジティブな状態でいる時は、実際に行動できるかは別にして、行動できそうに思えるのでまだいいのです。比較的フラットに行動に取り組むことができるでしょう。
問題はネガティブな状態の扱いです。「ネガティブだと行動できない」と関係づけてしまった時、僕達の行動は停滞してしまいます。本当は行動できる状況が整っているかもしれないのに、それを放置して感情を変えることに注力し、行動する機会を逸してしまいます。
ネガティブでも行動できるなら、あなたの行動力は倍になる
ネガティブな時に、行動することを選択肢から外してしまっているのです。感情のネガポジと行動できるかできないかは、殆ど関係ありません。それぞれ独立した事象です。つまり次のようなことがいえます。
ポジティブ | ネガティブ | |
---|---|---|
行動できる状況 | ○ | ☆ |
行動できない状況 | × | × |
感情優先にしたとき、僕たちがこの表の「○」の箇所にいるのであれば僕たちは行動できます。そして実は「☆」の箇所でも行動することができるのです。しかし、ネガティブさを理由に行動することを選択肢から外しているため、行動することができません。
行動できるはずなのに、その機会を逸してしまっているのです。ネガティブなままでも行動できると関係付けられていれば、いまよりも行動する機会は増えるのです。
どうすれば感情に関係なく行動できる状況を作れるかについては、下記の記事を参考にしてみてください。
常に行動の機能性を問い、分からなくても良しとする
僕たちが行動に関して問うべきは、感情がどうかではありません。行動の機能性を問うべきなのです。行動が機能的であれば、その行動はあなたの日常の質を少し向上させてくれるでしょう。反対に、行動が機能的でないならば、その行動はあなたの日常の質を低下させます。
ネガティブなまま行動することは、ポジティブに行動することに比べて、主観的にはやや辛さが伴います。最初だけですが。ただ行動が非機能的だと、頑張って行動した結果が現状を悪化させてしまいます。かえってネガティブに感じる出来事を増やしてしまうかもしれません。報われない行動の仕方だといえます。
僕たちは常に行動の機能性を問わねばなりません。この行動は、本当に自分の日常の質を高めてくれるものなのだろうか。この問と共に行動してください。
もちろん、問の答えが簡単に出ないこともあります。分からないこともあります。ではそんなときどうすればいいのでしょうか。
分からないから行動しないというのは、機能的ではありません。試みることによって僕たちは行動への理解を深めます。分からないなら分からないままで、その時に少しでもこちらかなと思う行動を試してみてください。それが機能的ということなのです。
感情がどうあろうとも機能的な活動ができているのであれば、僕たちの日常の質は少しずつ向上していくことでしょう。
まとめ
ポジティブだと行動できる、ネガティブだと行動できないという関係づけを成立させてしまうと、僕たちの行動は停滞しやすくなります。何故なら感情は行動の原因ではないからです。ネガティブな状態に陥った時、それとは無関係に行動することではなく、ネガティブな状態を解消することを選択するため、行動する機会を逸してしまうのです。
感情を行動の原因とする考え方は循環理論であり、何ら原因に言及するものではありません。感情が変われば行動も変わるのではなく、行動が変わることで結果として感情が変わることもある、という程度の関係しかありません。
僕たちは感情がどうあろうとも、行動することができます。僕たちが行動について意識すべきことは、自分の感情がどうかということではなく、機能的な行動は何か、その行動を実行するための工夫は何か、ということです。
感情がどうあろうとも、機能的に活動することを目指してください。