行動科学実践の手引き。

人が自由に行動し、自由を謳歌するために、行動科学(行動分析学)の知識と実用的なノウハウを記す。

自由になりたいなら不自由さについて知ることから。

自由になりたい。

ならばまずは「不自由さの正体」を知ることから始めねばならない。なぜなら僕たちに厳密な意味での自由はなく、自由を感じられる瞬間、そこには常に「不自由さからの解放」があるからだ。

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数年前、ラジオにコメント出演したことがありまして、その番組の中で

どんな時に自由を感じるのか?

という問いに対してインタビューも紹介されていました。幾つか覚えている範囲で書き出してみると、

  • 何も予定が無い時
  • 仕事終わりにビールをグイッと飲んでいる時
  • バイクに乗って、1人になれた時
  • 息子が寝ている時(子育て中のお母さんでしょうか)

といった感じなんですね。

僕たちには「自由」はない!?

僕たちには厳密には自由はありません。

僕は行動分析学という心理学が好きで、独学ではあるんですが、結構頑張って学んできました。コーチングなどでも実践していて、面白い手応えも感じていたりします。

で、その行動分析学の立場から考えてみると、厳密な「自由」というものは存在しません。というのも、僕たちは僕たちのおかれた環境の影響を、”必ず”受けてしまうからなんです。

僕たちは環境の影響下にある

例えば、あなたの友人が「お願い!○○してよ!」とあなたに依頼したとしましょう。そして、その依頼内容はあなたにとってやりたくないことでした。

そこで「ごめん、やりたくないから、それはできない」と断ります。

一見、自分の意志を示し、自由に振舞っているように思えます。ところがそれでもやはり、あなたは友人の影響を受けています。

なぜなら、断るという行動自体が、友人からの依頼に基いて起きた行動だからです。

友人の依頼を受けようとも、断ろうとも、そのことについて選択しようとしていること自体が、あなたは友人からの影響を受けている証拠なのです。

別の表現をするならば、友人からの依頼があったからこそ、あなたは断るか、引き受けるか、あるいは別の何かの選択を”せざるを得ない”状況に置かれたということです。

こういった影響は、僕たちが生きている限り、常に僕たちの周囲に存在しています。その影響の下で僕たちは選択し、行動しています。僕たちの意思のみで、僕たちの選択や行動が決まるわけではありません。

価値観や嗜好すらも環境の影響を受けている

更に。あなたが取る選択は、あなたの価値観や嗜好に基づいたものになります。

しかし、その価値観や嗜好それ自体が、あなたがこれまで環境の影響を受けながら取った選択や行動、そしてそれに伴う体験を通して培ってきたものです。

あなたの生きてきたエピソードそれ自体が、環境からの影響をふんだんに受けたものになっています。

僕たちは自由に何かを決めているような時でも、厳密には自由ではありません。

自由とは”不自由さからの解放”である。

にも関わらず、僕たちは自分が自由だと感じる瞬間があります。

僕たちが自由を求める場合、それは「認識上の自由」のことを指しているのだと思います。では、その認識上の自由とは何で、どうすることで手に入るんだろうか…ってことになるわけです。

そこで先程のインタビューに戻るわけですが、インタビューに答えていた人たちにある程度共通していることは、

自由とは、不自由さからの解放である

という点です。

予定や仕事、人付き合い、子育て等、元々何かの不自由さを感じていた人がそれから解放された時に、自由さを感じているように見えます。

自由と不自由は表裏一体

これはとても重要なことを示唆しています。

実は「自由」という概念自体が「不自由」という概念なしには、成り立たないものだからです。もう少し正確に表現すると、

僕たちは自由という概念を作った瞬間に、同時に、そして自動的に不自由という概念も作った

ということです。

あれが自由、これが自由と定義していったところで、ではそれ以外のものは?と問われると、それらは不自由というカテゴリに入ります。自由でないものは不自由であり、不自由でないものは自由となります。

僕たちは、この世界に自由というものを作り出した結果、同時に不自由というものも作り出しているわけです。

不自由を手がかりに自由を理解する

だから、僕たちが自由について理解しようとするならば、不自由さとは何かということについても考えなければなりません。

というか寧ろ、不自由さについての方が考えやすいはずです。

なぜなら、僕たちは自由さを認識することよりも、不自由さを認識することの方が得意だからです。その理由は、不自由さについて考えてみれば分かります。

不自由さの正体を知る

では、不自由さとは何でしょうか?

また冒頭に書いたインタビューをサンプルとして使ってみましょう。

Case1:予定が無い時、自由になれる

何も予定が無い時に自由さを感じられるということは、予定があるときには不自由さを感じているはずです。

何故、予定があると不自由さを感じるのでしょうか?

正確なところは本人にヒアリングしないと分かりませんが、恐らく予定通りに行動しないと、何か嫌なことが起きるからでしょう。

嫌なことは避けたいですので、予定通りに行動することを、自分に強いることになります。

Case2:仕事終わりにビールを飲んでいる時、自由になれる

仕事終わりにビールを飲んで自由が感じられるとすると、もし仕事中にビールを飲んだらどうなるのでしょうか?

上司に怒られたり、仕事が進まなくなったりするのかもしれません。

これも嫌なことが起きるので、仕事中にはビールを飲むという自由が無いわけです。不自由さを感じています。

Case3:一人でバイクに乗っている時、自由になれる

バイクに乗って1人になれると自由を感じられるとすると、1人でない時には不自由さを感じているのでしょう。

それは例えば、相手から話しかけられたらそれに応える必要があったり、相手によっては言葉を選んで返さないといけなかったり、そういったところが自由さを失わせる要因なのかもしれません。

自分の意図しないタイミングで行動を要求されること、そして相手によっては下手に反応すると嫌なことが起きるという点。

これがポイントかと思います。

Case4:息子が寝ている時、自由になれる

最後の子育ての例です。

息子が寝ている時に自由を感じられるとすると、息子が起きている間は不自由さを感じているのでしょう。

これもバイクの例と似ているかもしれません。つまり、息子のアクションに対して反応する必要があるわけですが、これは意図しないタイミングでの行動を要求されています。

なので、自由さを感じるのは難しいかもしれません。

僕たちが不自由さを感じる原因

さて、これらの例を分析してみると、次のことが分かります。

僕たちが不自由さを感じるのは、次の2つの”いずれか”に行動が支配されている時です。

  1. ある程度以上の頻度で「自分の意図しないタイミング」で行動せざるを得ない場合
  2. 既に発生している「嫌なことを無くすという動機」で行動する場合、または、「嫌なことの発生を阻止するという動機」で行動する場合

この2つのケースは、何れも僕たちにとって選択の余地が少ないため、不自由さを感じさせる原因になります。

加えて、この2つが同時に生じている場合は、僕たちはかなり強い不自由さとストレスを感じてしまうでしょう。

これが不自由さの正体です。

そして僕たちは不自由さを感じやすい生き物、つまり自由さを失いやすい生き物です。その理由は次回。

続き: 

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