行動科学実践の手引き。

人が自由に行動し、自由を謳歌するために、行動科学(行動分析学)の知識と実用的なノウハウを記す。

科学的であろうとすることの意義 - ”巨人の肩”に乗れることの利益を享受しよう

科学的であることは果たして重要なのでしょうか。

世の中には様々な価値観があります。例えば科学的に正しいかどうかよりも、目の前の問題が解決するという実務的な効果の方が優先される場合もあります。あるいは科学的な正しさよりも、本人がどう感じるのかという感情面や解釈というものが優先されることもあるでしょう。

もちろん、それはそれでいいのです。ただ実務面や感情面が優先されるあまり、科学的であることが軽視されのは望ましくありません。

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僕たちは因果関係を恣意的に作り出す

「Aが起きた。その後にBが起きた」というストーリーを、「Aが起きたからBが起きた」という因果関係のあるストーリーにするには、もう何ステップかのデータの蓄積と解析が必要になる。

https://toyokeizai.net/articles/-/335971?page=6

これは新型コロナの記事を読んでいる時に、その中で岩田健太郎教授が言っていたことです。Aが起きた後にBが起きると、僕たちはついついAとBに因果関係があるように捉えてしまいがちです。

例えば「A.会議で厳しく部下を怒鳴りつけた」後、しばらくして「B.業績が回復した」としましょう。そうすると「やはり厳しくマネジメントするのが正解だ」と考えるかもしれません。

僕たちは高度な認知能力を持っていますので、物理的には全く関係のない事象同士の関連性を、恣意的に作り出してしまうことができます。しかもそれは大した苦労もなく簡単にやれてしまうことです。結果、裏付けのない因果関係がたくさん生産されてしまいます。

 

日常の何気ないことであれば、それで問題はありません。ただ問題解決に関わる意思決定であったりとか、他人を巻き込む何かを決める際には、思い込みで因果関係を決めつけてしまうのは危険です。

これは因果関係がはっきりしないと意思決定してはならない、という意味ではありません。因果関係ははっきりしていないという前提で動きましょう、何か新たな事実が分かったら認識を改めて軌道修正しましょう、そういう心構えでいましょう、って話です。

思い込みの因果関係は、良くいっても単なる仮説でしかありません。その点を忘れずに、自分の意思決定にある程度の謙虚さを持っておいた方がいいと考えています。

 

さて、科学的に因果関係を”ある程度”突き止めようとした場合、面倒くさいプロセスを踏む必要があります。ある事象を引き起こした原因を探ろうと思ったら、一部の変数だけを調整して、結果がどう変化するかを観測する必要があります。

例えば、Aというやり方に効果があるかを確認したければ、いままでのやり方を使う集団と、Aという新しいやり方を導入した集団との違いを比較することになります。あるいはAというやり方を導入する前と導入した後の変化、更にはAというやり方を再度取り除いた場合の変化などを比較します。

面倒ですよね。細かいことや正確なことをいいはじめたら、もっと面倒になると思います。

ただこういった面倒なことをやってくれている人たちがいます。それが研究というジャンルで活動している方たちなわけです。

その活動の成果として、日々、様々な「エビデンス」が蓄積されていっています。そして僕はこのエビデンスってやつにめちゃめちゃ価値があると思っています。

巨人の肩に乗り、その先の景色に目を向けてみよう

エビデンスやそれを元にした論文などは、わかりやすくいえば、ほぼイコールで「人類の試行錯誤と進歩の記録」といってもいいでしょう。僕自身の考えでは、エビデンスを軽視することは、これまでの人類の試行錯誤と進歩のプロセスを軽視することと同じなのです。

素人なりにでも科学的であろうとすることは、エビデンスを軽く扱わないということでして、その姿勢はそのまま人類の膨大な試行錯誤から得られた知見を活用できるということでもあります。

自分の経験のみを重視してしまうと、全てを自分で見つけていく必要があります。しかも明確な因果関係を見極めていくのは非常に困難でしょうから、恣意的に作り出した因果関係に頼ってしまうことになります。

別にそれが悪いわけではないのですが、あまり効率的ではないかもしれませんし、上手くいくかどうかを偶然に頼ることになってしまうかもしれません。でも、そこにもし科学的な姿勢を取り入れることができたら、部分的にでも因果関係のみえてきた知見を活用することができるはずです。

既に分かっていることがあるのであれば、そこは「巨人の肩に乗る」方がその先の景色に目を向けられるでしょう。自分一人で頑張ることに比べて、本来集中したいことへ集中しやすくなるはずです。

 

加えて自分なりにでもエビデンスのとり方を抑えておくといいです。

それまでの知見の上に、自分のちょっとした工夫を上乗せして検証してみてください。自分の活動について再現性のある工夫が見つかれば、それは今後の自分の役に立つことはいうまでもありませんし、エビデンス付きの新しい知見があることは、もしかすると他の誰かの役に立つことになるかもしれません。

ほんの僅かですが、人類の試行錯誤と進歩に貢献できると考えれば、それはとても楽しいことのように思えます。

 

科学的であること。

それは簡単なことではありませんし、文脈によっては他のことが優先されたり、批判されることすらありますが、それでも科学的であろうとすることには多くのメリットがあるのではないかと考えた次第です。